↓現在のスパリゾートハワイアンズのエントランス
映画「フラガール」の北茨城市ロケ地めぐり ダンスの教師と少女達の友情と成長を、歓びと癒しのハワイアンミュージックにのせての感動の映画「フラガール」。 この映画の茨城県北茨城市ロケ地である炭鉱世話所と火の見櫓のオープンセットが現在も残る北茨城市関本町富士ヶ丘(当時、新西区)と中郷町石岡の実際の炭鉱住宅地を訪ねてみた。 炭鉱全盛当時の北茨城市は、昭和31年3月の市制始まって以来の人口63,426人(昭和34年)と最多数を示していたがその後、石炭から安い外国石油に変わるエネルギー革命により、数か所の個人炭鉱や杉本炭鉱(昭和35年)閉山を皮切りに、大日本炭鉱(昭和42年)閉山、関本炭鉱・重内炭鉱(昭和44年)閉山、そして常磐炭鉱中郷鉱(昭和46年)閉山と総崩れのように炭鉱の灯が消えて、人口12,000人ほどが流出してしまった。 この頃、お隣福島県いわき市でも北茨城市と同様に閉鎖が迫る炭鉱のまちが有り、そこでは、北国をハワイに変えようという起死回生のプロジェクトがあった。 映画「フラガール」のストーリーは、旬を過ぎ、しがらみを抱えるが故に、最初は嫌々ながらフラダンスを教えるまどか(教師)だったが、生きる為にひたむきに踊る少女たちの姿に、いつしか、忘れかけていた情熱を思い出していく。しかし、肌を露(あら)わに腰蓑をつけるなど恥とされた時代、世間の風当たりは冷たく、教える相手は全くのド素人、果して、常夏の楽園は、誕生するのか、オープンの日は迎えられるのか‥というもの。 この映画「フラガール」は、当事者・関係者でなくても、この時代を経験している者にとっては、ビデオを見るたびに涙、涙‥の感動の物語である。 ※ 過去にもスパリゾートハワイアンズをリポートしましたのでご覧下さい。↓ 2009.01.27「れいな日記」〝映画・フラガールを観て いわき市スパリゾートハワイアンズ〟(クリックして下さい。) ※ 戦後の昭和30~40年代の生活の厳しさ。「れいな日記」の「同窓会での会話」をご覧下さい。(クリックして下さい。) 「同窓会での会話」の内容は、当時炭鉱生活の子供の中に、生活困窮のため中学校での昼食は、弁当を持参しなく、校庭の片隅で昼休みの終わるのを待つ者が複数おり、その中の1人が話して呉れました事を記事にしました。 ↓映画「フラガール」のオープニング(撮影場所・北茨城市関本町富士ヶ丘) 窓枠の画像は映画のもの。(以下、同じ) 谷川紀美子(蒼井優)の親友・木村早苗(徳井えり)が世話所前のバス停留所でバスを降りると世話所に「ハワイアンダンサー募集」の貼り紙が有るのが目に入った。 「このチャンス捕まえなかったら死ぬまで、ここ(苦しい炭鉱生活)から抜け出すことが出来ないよね‥」と早苗は、紀美子に一緒にダンサーになる誘いを懸けた。これが、物語の始まりである。 ↓オープンセットが残る富士ヶ丘の地図 ↓東京からダンスを教えに来た「平山まどか先生(松雪泰子)」の新居宅(撮影場所・北茨城市関本町富士ヶ丘) オープンセットがある近くの元炭鉱住宅があてられている。 主人公「紀美子」の兄・谷川洋二朗(豊川悦司)らが酔った勢いで〝ご挨拶〟と称して訪ねるが、先生に頭から水をかけられる。 ↓世話所と火の見櫓が残るオープンセット(撮影場所・北茨城市関本町富士ヶ丘) 早苗の父・木村清二(高橋克実)の〝整理退職〟が決まって家族が北海道転出となり、フラガールになる夢も消えた早苗は、一同と悲しい別れとなってしまう。 ↓バスに遅刻する紀美子(撮影場所・北茨城市中郷町石岡 元常磐炭鉱中郷営業所近く) ダンス教習所で、親友・早苗の転出で消沈している紀美子の姿に、まどか先生は、明日からPRも兼ねた全国キャラバンに出掛けるので〝スマイル〟を要求したのに対して、紀美子が口答えしたために一発ビンタを見舞う。翌朝、ハワイアンキャラバンのバスに遅刻する紀美子。紀美子を待つバスの前席に座っているまどか先生に向かって、「これで(良)いべ!!」と〝作り笑い〟をする紀美子。その後、喧嘩の〝気まずさ〟が消え、相互に信頼が芽生える。 ↓世話所での土下座(撮影場所・北茨城市関本町富士ヶ丘) 配管工事の遅れで温泉水での暖房ができなく、椰子の木などの熱帯植物を枯らしてしまうので、暖を取るためストーブを手配して欲しいと、囲む炭鉱労組役員に土下座して懇願するハワイアン社員(三宅弘城)。 ↓炭鉱街の居酒屋(撮影場所・常磐線高萩駅前(高萩市)の蕎麦処「うらじ」) 飲食と憩いの場、情報収集・伝達の場など目的の居酒屋でのシーンは、①ハワイアンセンター所長・吉本紀夫(岸部一徳)は、炭鉱少女たちの件で、まどか先生と対立。②紀美子の兄・祥二朗は、未だハワイアンセンター建設反対の気持ちであるが、母と喧嘩して家を飛び出した紀美子を心配して、まどか先生に今後をお願いする。③紀美子の兄・祥二朗は、居酒屋で家を飛び出した紀美子に会い、「プロになるまで帰って来るな。」と、叱咤激励をする。と三シーンがある。下記のシーンは、①のもの。 ↓下記のシーンは、③のもの。 ↓紀美子家族が住む炭鉱住宅(撮影場所・北茨城市中郷町石岡) 紀美子の母・谷川千代(富司純子)は、炭鉱経営が益々悪化することを知り不安顔で、自宅に帰ると北海道に転出した早苗から紀美子宛ての郵便小包が玄関先に置かれていた。紀美子は母と喧嘩をして既に家を飛び出していて、ダンス教習場に寝泊りしている。母は、小包を届けに行くと、紀美子は、将来性のない炭鉱生活を夢のある生活へ移りたい一心から、1人必死になってダンスの練習に励んでいた。母はそれを見て、炭鉱経営の現状を鑑み、今まで労働組合婦人部執行委員の一員として、ハワイアンセンター建設反対の立場があるが、自分の考えの〝甘さ〟を悟り、その後は蔭ながら応援をすることになる。 ↓谷川紀美子(蒼井優) 熊野小百合(山崎静代-南海キャンデーズ・しずちゃん-)の父(志賀勝)が落盤事故で亡くなったにも係わらず、直ぐにかけつけられなかったのをハワイアンセンター建設反対の労組役員らが、反対のきっかけにして、まどか先生を責め立てて、結局先生は、圧力に負けて東京に帰ろうとするが、少女たちは、南湯本駅まで先生を追って、プラットホームで電車の窓際に座る先生に対して、ハワイアンミュージックに合わせて手話のような仕草で先生を引き留めようとする。(涙) ※映画は、その他に、ベテラン俳優・寺島進、池津祥子らが脇を固め、名演技で物語を引き立たせている。 ※2006年 監督・李相日 シネカノン映画社作品 ※画像は、紀美子のその時のワンカットシーン。
by reina-g
| 2010-06-16 21:59
| 北茨城市の観光
|
by gomitaro
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