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豊田大六天王祭 北茨城市

056.gif高台にある鹿島神社056.gif
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058.gif大字豊田の大六天王祭058.gif
去る8月21日、北茨城市磯原町豊田にある鹿島神社隔年恒例の大六天王祭が若衆世話人主催で執り行われた。
この祭は、午前11時に鹿島神社で同市華川町花園神社神主から神魂を入れられた宮神輿と榊神輿の2基の神輿が、神社から1キロ先の磯原中学校近くに設置された“御仮屋”に辿り着き一時休息、午後、五穀豊穣、坪内安全、家内安全などを住民が我家の前で祈願できるように、約3時間をかけて“字廻り”として渡御をする。
その後夕方は、御仮屋前広場において、住民が年一度お下がりになった神輿の神に対しお参りしたり又、住民同士の親睦を深める為に、盆踊り、カラオケ大会、花火の打ち上げをして、楽しい夕べを過ごすとの事。
そして、〝お開き〟になる9時頃、2基の神輿は、朝から同行する若衆世話人の護衛で暗い夜道を神社にお戻りになる。
※ 他の地区は、神輿担ぎ手が足りずに「外人部隊」(地区以外の担ぎ人)の応援を受けるようであるが、当豊田地区は、神輿の担ぎ手が十分程足りている状態の珍しいケースであり、これは、「若衆世話人」制度など〝決り事〟が確立してベストに運営されている例と思われる。

056.gif社殿鬼瓦に葵のご紋が‥056.gif
鹿島神社の由緒沿革の中に「元禄6年徳川光圀公命により総鎮守となる。」とある。
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056.gif社殿内の伝説板056.gif
応永7年(1400)12月社殿修営(棟札)天文中造あり云々とあり、鹿島神社は、610年の歴史がある。
伝説板の中に「天正年中兵火乃為に云々」とあるが、これは、天正16年(1589)、車城をめざして佐竹義宣勢が出陣、豊田、車、臼場、中妻あたりが戦場となり、迎え討つ車兵部大輔義秀勢と合い戦った「大北川原の合戦」があり、その時、『延福寺(現在の松川製材工場の上当たり)』やこの鹿島神社などの目立った建物が焼き討ちに遭ったと思われる。「大北川原の合戦(赤字)」をクリックして下さい。
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056.gif格好良い若衆世話人056.gif
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056.gif大六天王のご神体は社殿内ではなく、ここに有り‥056.gif
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056.gifあばれ榊神輿056.gif
神社と御仮屋間は、1キロの道程ところを神輿は1時間かかる。神輿が神社にお帰りの時は、担ぎ手が相当酔っぱらっているで、御仮屋を午後9時出発して3時間以上の12時を過ぎる〝午前様〟になること度々の〝あばれ神輿〟のようだ。
若衆世話人は、この〝あばれ神輿〟に同行するが、神輿が安全に運行しているか如何かを見守る役目なので、神輿の進行が〝遅い〟〝早い〟の命令権はないようだ。
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056.gif若衆世話人の役割を早速発揮056.gif 2012.8.25撮影 8/27追加
神輿が危険なコンクリート囲いの小川に落ちそうになったのを必死に食い止めるストローハット姿の若衆世話人。
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056.gif担ぎ手、熱くて、熱くて‥056.gifやっと、宮神輿御仮屋到着。
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056.gif御仮屋でお休みの宮神輿056.gif
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by reina-g | 2010-08-23 01:48 | 北茨城市のニュース


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