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懐かしい母校・二宮金次郎 北茨城市

emoticon-0155-flower.gif現在の中妻小学校校舎emoticon-0155-flower.gif
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emoticon-0157-sun.gif懐かしい母校ー爺の想いーemoticon-0157-sun.gif
9月17日(土)早朝6時、運動会開催決定の打ち上げ花火の音が市内11の小学校から一斉に鳴り響き、私は母校の北茨城市立中妻小学校運動会を覗きに行った。しかし、来て見れば時(代)の経過で知る人は少ししか居らず、まるで竜宮城から亀に送られて浜に帰った浦島太郎の様に環境の変化には一寸寂しいものがあった。

私が多賀郡華川村立中妻小学校に入学したのは、終戦2年後の昭和22年4月、この年は新しい教育法が制定、名称も「国民学校」から「小学校」と変更になったが、社会は物不足、貧困が続き、家族を支える親たちは、大変な苦労をした時代だったと思う。
当時の校舎は、木造平屋建て・7教室(内職員室含む)、その後の昭和25年、当学校区域内の車駒木地区に「大日本炭鉱」が開設され、児童数が徐々に増加、昭和28年1月、北東側に木造2階建・8教室が建て増された。
(その後、昭和30年4月華川村が磯原町と合併、磯原町立中妻小学校と改称。昭和31年3月北茨城市誕生、北茨城市立中妻小学校と改称。)
昭和34年6月、最初の木造平屋建て校舎の半分を壊し、新校舎4教室が竣工、昭和39年8月、残り半分の木造校舎を取り壊して管理校舎(職員室、校長室、保健室、理科室)が完成、そして、昭和42年9月、大日本炭鉱閉山により、一挙に児童数が減少、一時中妻小学校が存亡の機となったが、中妻地区に市営住宅団地が完成して児童数が元に戻り危機は免れた。昭和55年3月体育館が完成した。現在の鉄筋コンクリート・4階建て校舎は、平成元年5月に完成した。(写真)

中妻小学校約30分の滞在時間、運動会観戦をそこそこにして帰ろうとすると、入学当時からも校舎前に薪を背負って本を読んでる「二宮金次郎石像」君が装いも新たに立っていた。校庭拡張工事で移動の際に、台座から落とされて両足を骨折して添え木を当て針金で巻かれ痛々しい姿であったが、この度の震災で再び、落とされ二度の災難を経験したが、新しく蘇えったのだ。

  ↓emoticon-0155-flower.gif新しい二宮金次郎石像に絶賛!!emoticon-0155-flower.gif
昨今世間では、金次郎に対する考えが変わっているのでは…と考えたくなる。
車社会の現在、本を見ながら歩くことは、子供らを車から守る「交通安全」の建前、子供に悪い影響を与えるとの理由からと、座って本を読む金次郎像に変更する学校、校舎中心部分の玄関先に設置していた金次郎像を校庭の片隅に追いやった学校、金次郎像を校庭から排除した学校があると聞かされた事があるが、これが本当なら悲しいことである。
しかし、薪を背負って歩きながら本を読んでいる姿は、貧乏が故に寝るのも惜しみ、時間を惜しんで勉学・労働をする金次郎のスタイルを表しているのだから、学校の先生方は子供に、この事を良く教える事で今迄通りの“歩きながら本を読む金次郎像”で良いのではと思う。
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emoticon-0155-flower.gif在りし日の金次郎正面像emoticon-0155-flower.gif(この石像は、破損が著しいので処分したとの事。)2007/07/03撮影
台座の正面には、「至誠報徳」とあり、裏面には、「紀元2601(昭和15)年4月29日 寄贈者は鈴木亀之助 越谷梅夫」とあるが、“鈴木亀之助”は、臼場出身の旧華川村の村長経験者・資産家。“越谷梅夫”は、現在のところ不明である。
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emoticon-0155-flower.gif在りし日の金次郎の後ろ姿emoticon-0155-flower.gif2007/07/03撮影
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emoticon-0155-flower.gif昭和34年から39年までの時期の航空写真emoticon-0155-flower.gif【中妻小学校提供】
学校前(右下)は、農家造りの家は、今も酒やを営んでいる鷺内酒店。学校後ろ(反対側)の農家造りの家は、屋号「こなかや」で文房具なども販売していた。
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emoticon-0155-flower.gif中妻尋常小学校を昭和10年4月入学し、昭和16年3月卒業記念写真に納まった皆さん方、凛凛しいお顔立ちです。emoticon-0155-flower.gif 
昭和3年4月2日から昭和4年4月1日生れの現在82歳~83歳の卒業生。左前列に座る若き柴田兵部先生を始め、この中の半数の先輩を存知上げているだけに懐かしい写真の1枚。しかし、残念ながら殆んどの方がお亡くなりになっている。(赤字部分をクリック)
※昭和16年4月から尋常小学校は国民学校となる。
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emoticon-0155-flower.gif懐かしい松の木を眺めていると…emoticon-0155-flower.gif
校庭の拡張工事時、2反歩からの土地と共に提供した当時学校裏側にあった「こなかや」所有の松。この松を見ていると「こなかや」の主、亡き「信」さん「たま」ちゃんご夫妻の当時の優しい人柄が偲ばれる。
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emoticon-0155-flower.gifこんな可愛そうな金次郎さんも…emoticon-0155-flower.gif (2011/11/09撮影)
校庭拡張時に校庭の隅に追いやられ、この度の震災で台座から落とされたままの、ある小学校の金次郎コンクリート像。
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by reina-g | 2011-09-22 07:32 | 爺の思い | Comments(4)

ブールベリーでジャム作り 北茨城市

emoticon-0155-flower.gifブルーベリーemoticon-0155-flower.gif
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emoticon-0157-sun.gif北茨城市の将来はブルーベリーの里として…emoticon-0157-sun.gif
昨日(9/15)、生涯学習の一環として北茨城市華川町、公共の宿「マウントあかね」内の田舎ぐらし体験交流協議会主催による「ブルーベリージャム作り講習会」が行われた。
市報などによる募集で受講生17名が集まり、講習会は講師・及川徳江さんの指導により、ブルーベリーの傷果の除去、洗浄から瓶詰までの5つの作業工程を行い完成に至り、受講生の皆さんはジャムの出来映えを、クラッカーに付け味見して出来の良さを喜び合っていた。
北茨城市は、農業改革として耕作放棄地を利用した果樹産地の育成に乗り出す計画があり、ユズ、ブルーべリー、カキ、イチジク、クリの北茨城の土地に適した5種類の果樹の苗木の購入費を一部負担し、市内での産地化を後押しすることになり、あかねの敷地内にモデルケースとして、昨年3月13日市民ボランティアの協力で畑二か所にブルーベリーの苗木約200本を植えたものが今年豊作状態となったもの。
当然、昨日の講習会の材料もこのブルーベリーを使用したものである。
※「マウントあかね」ではブルーベリーを現在、200g300円で販売中(販売個数の制限あり)
公共の宿「マウントあかね」のHPです。
emoticon-0155-flower.gif17名の受講生emoticon-0155-flower.gif
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emoticon-0155-flower.gif洗浄、粗めにつぶす、ビンを熱湯消毒・「熱いうちに瓶詰にする」などの工程がある。emoticon-0155-flower.gif
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emoticon-0155-flower.gif真剣な眼差しemoticon-0155-flower.gif
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emoticon-0155-flower.gif皆さん真剣そのものです。emoticon-0155-flower.gif
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emoticon-0155-flower.gif出来上がりemoticon-0155-flower.gif
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emoticon-0168-drink.gif生涯学習とは…emoticon-0168-drink.gif
生涯学習とは「一人一人が、健康で豊かな生活を営むことや、仕事に役立つ知識や技術を身につけたり、生きがいのある充実した人生にするために、自分の意思に基づくことを基本として、必要に応じて自分に適した手段や方法を選んで、生涯を通 じて行う学習活動のこと。」です。
生涯学習には、あらゆる学習活動が含まれています。家庭や学校で行われている基礎的、基本的なものから、趣味・教養、資格取得、企業内研修、スポーツ活動、レクリェーション活動、芸術・文化活動、地域づくり活動、国際交流活動、ボランティア活動等、社会教育分野のものまで幅広いものがあります。
また、学習の方法には、学校や公民館、民間教育事業等で行われる集合学習形態のものだけでなく、通 信教育、テレビ、ラジオ、読書、新聞、インターネットなどを利用して個人で行う学習もあります。 したがって、私たちは分野や程度の違いはあるとしても、だれでも既に生涯学習をしているといえます。
※北茨城市では、生涯学習活動の場として「マウントあかね」内に「田舎ぐらし体験交流協議会」を運営し、市民が農業体験をして、一人ひとりが、健康づくりと知性を磨き、人生を有意義に過ごすようにと、炭焼き体験、夏野菜収穫体験、蕎麦打ち体験、こんにゃく作り体験、パン・ピザ・クッキー作り体験などの体験教室を行っています。
是非とも、市報、市ホームページ又は、マウントあかねホームページなどでお調べのうえ、この体験教室に参加されては如何でしょうか。
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by reina-g | 2011-09-16 08:04 | 北茨城市のニュース | Comments(0)

中秋の名月 北茨城市

emoticon-0155-flower.gif今晩の中秋の名月emoticon-0155-flower.gif
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emoticon-0157-sun.gif月見の夜は…emoticon-0157-sun.gif
今日(9/12)は、満月の夜で中秋の名月。
十五夜で中秋の名月として、1年のうちで、秋の真ん中が一番月が美しく見える ということから旧暦の8月15日にススキ、萩、お団子、おはぎなどを飾り、お月見をするという風習があり、この「中秋の名月」は旧暦の8月15日なので日は毎年変わることになる。
私の幼少時は、「月見泥棒」と言って、表廊下に飾る果物類を失敬する風習があったが、終戦直後のことなので、腹を満たす為の単なる“泥棒行為”なのか、盗られることが“縁起が良い”と被害者宅から歓迎されたのかは、今になっては分からない。
しかし、風習は社会生活の変化により姿を消し、この他に恵比寿様、節分時の豆まき、七夕飾りなどの行事も、行う家が少なくなった。 ちょっと淋しい限りである。

emoticon-0155-flower.gif自己流のお月見飾りemoticon-0155-flower.gif
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by reina-g | 2011-09-12 21:00 | 爺の思い | Comments(4)

〝夢ある町へ〟まちづくり復興計画 北茨城市

emoticon-0159-music.gif磯原地区emoticon-0159-music.gif
emoticon-0155-flower.gif野口雨情生家emoticon-0155-flower.gif
震災で屋根瓦が破損して、雨漏り防止用ブルーシートが痛々しい。
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emoticon-0157-sun.gif北茨城市震災復興計画策定委員会を立ち上げる。emoticon-0157-sun.gif
明日を信じて 元気! 北茨城市
北茨城市は、東日本大震災の津波で全壊家屋が相次いだ「磯原地区」「大津地区」「平潟地区」の3地区の復旧・復興に向けた計画検討に着手するため、8/31日に「北茨城市震災復興計画策定委員会」を設置して初会合を開いた。
委員会メンバーは、市議会、農協、観光協会、女性団体、教育委員会など市内各種団体の代表者19人で構成し、筑波大教授から助言を求める。委員長には、前県議・船主の鈴木徳穂氏、副委員長には、市観光協会理事・ホテル「としまや」社長の渡辺悦夫氏が選ばれた。
当対策委員会に当たって、市は「市民生活の再建」「地域経済の再生」「市民の安心・安全」の三つを基本目標にする。市は地域振興と防災態勢の強化を両輪として震災からの再生を図る方針。
3地区については、津波被害を受けた家屋解体で更地となった地区の土地利用を含めて検討。
「磯原地区」は野口雨情、「大津地区」は観光と漁業、「平潟地区」は鈴木主水各地区の特色としてまちづくりの青写真を描く想定だ。
当対策委員会は、現在市が3地区で約450世帯を対象として実施している移転の意思などに関する聞き取り調査結果を踏まえ、10月以降、計画案づくりを進め、検討結果を翌年3月末までに市長に答申する。(茨城新聞ネットニュースから)

emoticon-0159-music.gif磯原地区emoticon-0159-music.gif
emoticon-0155-flower.gif夏草で隠れそうemoticon-0155-flower.gif
家屋解体後更地になった宅地に〝あっ〟と言う間に雑草が生え、ブロック塀が無かったら完全なる草原状態である。
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emoticon-0159-music.gif大津地区emoticon-0159-music.gif
emoticon-0155-flower.gif見通しだけは良くなった西町丁字路emoticon-0155-flower.gif(左側が大津漁港)
仁井田橋から五浦地区に至る(手前の)道と仁井田橋から大津港駅に至る(右方面)丁字路。
◎5年に1度の「常陸大津の御船祭り」の時は、お船の直角曲りが見せ場のところ。前回の御船祭りは、御船牽引の滑車ロープが切れて数名の負傷者が出る事故が発生した。事故は狭隘道路も影響の一因と考えられるで、ここらも改善計画がされる一つと思われる。
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現在の大津漁港は、陸に打ち上げられた漁船、漁網などは、廃船、廃棄、修繕などが進み、すっきりしているが、津波で破壊された岸壁は当時のままである。
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emoticon-0159-music.gif平潟地区emoticon-0159-music.gif
emoticon-0155-flower.gif町外れの東町emoticon-0155-flower.gif
平潟町の津波被害が酷かったところ。
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by reina-g | 2011-09-06 03:16 | 北茨城市のニュース | Comments(2)