第二回石岡さくら祭りと常磐炭鉱中郷鉱の歴史 北茨城市

056.gif炭鉱当時の世話所が管理されている。056.gif 2008/04/06撮影
007.gif画像をパソコンに入れただけをマイドキュメントに確り入れたと勘違いしてカメラの画像を消去してしまいました。消去した画像は2日間の「日立の桜まつり」と「第二回中郷石岡の桜まつり」そして、孫娘の「中学校入学記念の家族集合写真」です。何かの罰が当たったんでしょうね。この為、当日の桜の画像はありません!!。やむを得ず、予定を変更し「常磐炭鉱中郷鉱の歴史」としましたので、ご覧ください。008.gif
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058.gif石岡桜まつりと常磐炭鉱中郷鉱の歴史058.gif
4月8日(日)北茨城市中郷町の元常磐炭鉱中郷鉱広場において北茨城市主催「石岡のさくら祭り」行われた。
当さくら祭は、市民ふれあいのイベントとして、当市を支えた基幹産業である常磐炭鉱の往時を辿りながら市民と地域のコミュニケーションを深め、当市の活性化と発展に寄与するとともに、地場産品の販売を通して観光客に広く当市をPRすることを目的としてセッティングされたもの。
さらに、本年においては、震災からの復興へ向け市民に元気を取り戻していただく機会としての目的もある。
当日の桜の開花状況は、寒さが続く異常気象のため、一輪も開花してなく蕾状態であったが、 〇一般参加による「素人のど自慢大会」 〇各種団体による演奏、合唱などとして「石岡小学校生徒による合唱」、三味線演奏 〇地場産品展示即売・地元スポーツ少年団・PTAなどによる模擬店など 〇野立てとして、桜の木の下でのお茶会の開催 〇石岡発電所ウオーキング 〇常磐炭鉱時代の写真展 〇昔ながらの駄菓子屋などの売店と〝催し〟が祭の環境をつくり、賑やかな〝さくら祭〟になったようだ。

※常磐炭鉱中郷鉱の歴史
北茨城市は、江戸末期から石炭産業に係わり上小津田の神永喜八は、常磐炭鉱北部地区の操業先駆者として有名である。(ちなみに、南部-いわき-地区の操業先駆者は,片寄平蔵)
その後は、小規模の炭鉱の合併が続き経営が大がかりになり、これに明治30年の国鉄常磐線開通で輸送方法が船・馬車から汽車に変わり大量に市場に輸送できて、更に石炭需要も増え、南中郷駅、磯原駅から京阪神方面に送炭できて益々、炭鉱が発展したことと思われる。
056.gif常磐興産(株)社長室 茨城分室入口にある樹齢7~80年桜の木10本056.gif 2008/04/06撮影
定かではないが常磐炭鉱設立の昭和19年3月以前からあった桜ではと地元の人が教えてくれました。
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056.gif常磐興産事務所前の祠に大切に保存されている石造りの「中郷新抗」の銘板056.gif
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056.gif元炭鉱長屋が今も残り…056.gif
…この周囲は映画「フラガール」のロケ地にもなったところ
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056.gif石炭の道056.gif
私は幼少時に当地に来て、この道路に石炭運搬方法としてベルトコンベア(通称:エンドレス)軌道装置があったのは鮮明に覚えているが,動いていたかは定かでない。石炭は、切羽現場から洗炭場の日棚地区までの約1.5㎞をベルトコンベアで運び洗炭後、国鉄の日棚引っ込み線に入る貨物車で南中郷駅に運ばれた。
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by reina-g | 2012-04-10 03:42 | 北茨城市の歴史


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